わかりにくいものは、放っておかない。大袈裟に言えばこの思いが科学を生み、現代文明の繁栄? に繋がっている。きっと。
音楽はもともとが個人の微妙な脳の昂(たかぶ)りが音になったものだから、掴みどころがないものだったはずで、まず声や楽音に変化した時点ですでに大きくジャンプしている。
無拍の歌が残っているのは、ある意味当然で拍子を付けてしまうことで流れが失われてしまいます。何でも五線譜に表せばそれでいいわけじゃない。五線譜はあくまでもラフデッサンのように大まかにイメージをつかむ手段な気がします。その方がより世界中の人々に伝わりやすいわけでして。
けれどわかりやすさと引き換えに、失われているものがあることに敏感でいたいと思うのです。