AIの時代を迎えて、AIが気合いや一生懸命さを表現できるのか? よくわからない。けれども生身の人間が懸命に演じる様子は、表現ジャンルを超えて何かしら訴えるものがあると信じています。琵琶楽がこれだけの歴史を刻んできたのも、単に奏者たちが一生懸命に演じて来た積み重ねでしょう。もちろん必要条件としての奏法技能や唱法などの表現技術がベースにあるのだろうけれど、結局は気合いや懸命さが伴わなければ、聴き手との距離は埋まらないと思うのです。